日々の発明

つい先日、古い知り合いと会いました。彼は日本に米国憲法の2ndAmendmentを導入したいらしいです。いろいろな持論を持っている人でもうすぐモハメッドに改名するとも言ってます。

その彼が「日本人は発明しない。新しい、変わった考えを持った人間は切り捨てられる社会になっている。」と言っていました。日本人の発明があるなら言ってみろとまで言います。我々と同じ定義で発明を考えている人ではないので、カラオケ、マンガと言ってみたのですが、それは用途であって発明じゃないといいます。

技術の方がいいのかと思って八木アンテナの話をすると(日本の10大発明の一つと言われています)、第二次世界大戦中に日本が捕虜にした敵国兵がYAGIと書いてあるアンテナを持っていたという話まで知っていてちょっとびっくりしたものの、アンテナという英語があるくらいだから、それも改良にすぎないと言います。

ちなみに、新しい変わった考えを持つ人間は京大にはいるが東大にはいなく、そのため、ノーベル賞をもらっているのは京大の研究者ばかりだとも言っていました。何かといろいろ知っている人ではあります。

全体未聞の発明はパイオニア発明と言われて、日本に限らずそう滅多にあるものではないからこそこのような呼び方があります。その一方で殆どの発明は改良発明といって既存の技術を改良して成立するわけです。

私たちは日々企業の開発の方と面談をしてそのような発明を出願したり、発明を発掘しています。改良とは言っても、改良の恩恵を購買者は受けているわけです。煙のでない魚焼き器であったり、風呂の残り湯を必要に応じて洗濯機が吸い上げて利用するといったようなことはアイデアとしてはあっても、実現したのはそのような技術者の恩恵だと思います。

そんな裏事情を知っているので大いに反論したいところですが、そこは笑いの場に納めておいた方が良さそうでしたので、そのようにしていましたけど。

こういった改良、改良は発明という形でなくても、日本では非常に多いと感じます。コンビニでレジ袋を渡されるとき、持ち手の所をくるくるっとねじって持ちやすくしてくれたりしますが、こちらではそんなこと見たこともありません。レジで1751円と言われて、財布を軽くするために2251円を渡せば、必ず一枚の500円玉でお釣りをくれますが、こちらでそんなことをやろうものなら、余計悲しいことになります。

特許庁に出願する意味のある発明には制限がありますが、日頃、自分のための発明なら制限はありません。日々改良していればきっとあるときにすばらしい発明に思いつくんじゃないかといつも思います。そのためにも、今日も発明。濡れたタオルを洗濯物入れに入れる前に少しでも乾くようにしつつ、邪魔にならないようにする干し方なんていうのでもいいんじゃないでしょうか。将来、効率的な乾燥機の構造に結びつくかもしれませんし。
2007年01月22日 23:10