自転車ベルト伝動装置事件

自転車ベルト伝動装置事件

:特許権侵害差止請求他:昭和62年(ワ)第16219号:東京地裁(平成3年1月30日判決)

 まず、特許請求の範囲を見て下さい。「一つの線上Aに従動車10の軸心11と内輪駆動車12の軸心13を設定し、内輪駆動車12には軸心が変位できる外輪駆動車14をギヤ機構により内接噛合すると共に、従動車軸心11と内輪駆動車軸心13を結ぶ線分Aと内輪駆動車軸心13からの垂直Bによって仕切られた弛緩側偏心区域15に外輪駆動車14の軸心16が任意量偏心して位置するようにベルト17の長さを設定して成る、自動張力調節機構を有するベルト伝動装置。」ということです。これだけではまず分かりません。それで結構です。先へ進んで下さい。

 事件の名称にあるように、この発明はベルト駆動の自転車に関するものです。一体どのようなものでしょうか。普通はペダルでスプロケット(チェーンを駆動する歯車のこと)を回転させ、スプロケットの外周部分でチェーンを駆動させます。チェーンが伸びてくると下側でダラーンと伸びてしまいます。チェーンなら多少伸びても構わないのですが、ベルトドライブの自転車でベルトが伸びてしまうとすぐに空回りしてしまいます。ベルトが伸びるということはベルトの張力が弱いということですから、この発明の目的とするところはベルトの張力を自動調整し、空回りしないようにするということです。

 その知恵はというと、スプロケットの周りにリングを装着し、このリングの外側にベルトを掛けるということです。この場合、リングの内側とスプロケットの外側とで歯車のようにかみ合っており、互いに自由回転することはないようになっています。

 ベルトが張っている状態ではリングはスプロケットに対してぐらつくことなく、スプロケットを回転させると最初の位置で普通に回転し、チェーンを駆動します。ベルトが弛むとリングは下方に垂れようとします。このときの垂れ方を想像してみて下さい。自転車を横から見るとしてリングは最初の状態からやや斜め下前方側に垂れるはずです。すると、リングの軸芯は前方にずれます。すなわち、ベルトを張る方向に移動するのです。この状態でペダルを漕ぐとどうなるでしょう。スプロケットは前方やや斜め上の辺りでリングの内周に接しており、同リングは前方やや斜め下方向に押し出されようとします。この方向への移動はベルトを張る方向になりますからベルトは空回りしないのです。これで少しは理解できたでしょうか。

 この事件で被告となったものも同じような二部材の構造から構成されていますが、二部材はギア機構では連結されていません。よくこのような構造を考えついたものだというように感心する出来映えです。敵ながら天晴れというところでしょうか。それでもペダル軸で回転駆動される駆動体(スプロケットに該当)よりも一回り大きく形成され、同駆動体を取り囲むようにして周囲に位置し、外周部分にベルトが掛け渡されている中間駆動部材(リングに該当)を備える基本構造は同じです。また、ベルトの伸びで中間駆動部材がどのような位置に移動し、その場で駆動力を得たときにベルトを張る方向に移動するという基本的メカニズムも同じです。

 この事件の結論は非侵害でした。

 極めて風変わりな構造であって、それが発明の核をなす場合はしばしばあります。これを形状で表すときには苦労します。そんなときには「すなわち」で始まる簡潔な文章を考えてみるとよいと思います。そして、それをクレームに書いたり、発明の詳細な説明の中で書いておいてはいかがでしょうか。

 本発明の場合、「すなわち、ベルトが弛んでくると、リングが斜め前方下方に移動することになってベルトの張力を上げるし、ペダルを漕いだときには同方向へリングが移動して張力を増加させる。特許請求の範囲第1項に記載の発明の意図するところはこれである。」というように書いてあったら裁判官はどう判断するでしょうか。たとえ、そう書いてあってもクレームは書いていないというのが特許業界に携わる人の反論となるでしょうが、これは特許の世界の狭い常識ではないでしょうか。文章で技術を説明するのに限界があることは否めません。ですから、明細書全体で伝えようとしている技術の意図をこのような形で書かれてしまった場合、特許請求の範囲の文言の理解に参酌すべきと判断する方が常識的ではないでしょうか。これからの世の中で要求されるのは後者のもののはずです。

 なお、本件についての図面が欲しい方はお申し付け下さい。個人的には被告の構造を大変興味深いものと思います。