宴の席の名演

宴の席の名演

 先日の我がIP部内の忘年会では、運悪く部長の隣に座ってしまった。この部長は酒が入るとついつい昔話になりがちなのだが、今回は我が社のプロパテント戦略には日本の経済問題が大きく影響していたとのことだった。
 話は、第一次円高ショックまで遡る。1985年から1988年頃に生じた第一次円高ショックの時、1ドル240から1ドル125円までという無茶苦茶な円高になった。急激な円高に対して各メーカーが行ったのは大きく分けると五つほどあったらしい。一つ目は、部品メーカーに対する原価低減の要求だった。これは相当きびしかったらしい。二つ目は、いわゆるヘッジ。ただ、ヘッジによるドル売りがさらに円高を増し、自分で自分の首をしめる結果になってしまった。三つ目は輸出価格を上げるという当然の結果だ。それまで、日本製乗用車であれば安価で高性能というのキャッチフレーズであった。しかし、それ以降は、価格競争という意味では必ずしも優勢とは言えず、性能が良い分だけ値段も高いということになってしまった。ファミリーカークラスでも、米国車よりも高いのが実勢となった。そして、最後は現地生産だ。これは単なる現地生産というよりも輸出代替現地生産と言われるものであり、対米輸出に対する対策として開始されたそうだ。
 でも、このような急激な円高に対して、それまでは良すぎたという見方もできた。本来の自由競争の現状に戻り、メーカーはそれなりの体質を得たのだろう。しかし、その後に生じた第二次円高ショックの時はこれこそ本当にきびしかった。円高時代は1989年頃に一旦は収まりかけたものの徐々には進行していた。そして、1991年から1993年にかけてのバブル崩壊後の1993年から1995年にかけて円高は頂点に達した。円は一時期1ドル80円近くまで値を上げた。
 このときは、部品の原低や、輸出価格の値上げは限界となっていたし、ヘッジもできなかった。技術改良に苦労を重ね、生産性を改善し、1%や2%のコストダウンを目標にしていても円高はあっという間に10%や20%のアップである。それも、投機筋によるギャンブルのつけだ。実勢など関係ない。メーカーからすればばかばかしくてやってられない。こんな馬鹿な話につきあってられないということで、各社は現地生産、海外進出のきっかけとなったということだ。
 ただ、あのころの海外進出は円高とバブルでやりやすかったらしい。バブル時代はとにかく株価が上がった。だから転換社債が売れまくった。企業も海外進出に必要な資金は直接直接金融で十分に賄えたらしい。そこで一気に海外進出ブームとなり、現地生産を助長した。国内空洞化というのはこんな風にして始まっていたようだ。
 企業も人も海外への進出がめざましい今日だが、やっぱり企業の海外進出こそ、その源流にあると言える。開発途上国においてはインフラの整備が必要であり、それを目指して最先端の技術移転が行われる。エネルギー、輸送、人のみならず、通信という時流も見逃せない。インフラが整備されることによって企業の進出があるし、企業の進出に伴って人、情報が飛び交う。そんな中で何故国内にいなければならないのか。民族意識や国家意識が風化し、時代はアイデンティティ・個人の時代となりつつある。そして、企業こそが国際化の最先端を進んでいた。海外進出は魅力に溢れていたのだ。
 むろん、そのような漠然とした話だけでなく、海外進出の直接的理由はいくつもある。「為替によって翻弄されたくない。」、「人件費が安価である。」、「土地が安い。」といった消極面でのメリットもさることながら、そこにある未来の膨大なマーケットが魅力だ。
 現在、開発途上国の国民も情報だけは供給されている。金はなくても世界の中での裕福な国の状況は知っている。自分達の生活を良くしたい。自分も大きな家に住み、きれいな服を着たい、自分の車を持ちたい。などなど。そのモチベーションたるや昭和30年代の日本と全く同じである。むしろ、情報化の進んだ現代では、テレビを持っていない者も町中の電気店の前に行けば衛星放送による海外の生活映像が目に入る。彼らが本当の意味でのマーケットになるのは遠い将来ではなく、極めて短期間であると思われた。
 日本には円高という障壁があって海外進出を余儀なくされていたが、不思議なもので各国それぞれのお国事情で海外進出は免れなかった。ドイツには時短の問題があり、アメリカには労組問題があった。どちらかといえば、日本は出遅れ気味であったのかもしれない。特に、技術移転は自分の首を絞めるのではないかという危惧が海外進出の足を引っ張った面もある。その点、米国は違う。どっちにしたって外国が出てくる。そのときには自分が出遅れるだけだという発想だ。また、経営手腕も極めて短期間に評価される。日本のような出し惜しみはない。
 そんな状況で企業の海外進出の歯止めはかけられるのか。どう考えたって企業が海外進出しない要因はない。アメリカは海外で生産して自国で消費するが、日本の場合は海外で生産して海外で消費するという基本構造だ。安く生産して安く外国で売る。日本に経済力がある場合は消費市場としての価値が企業を引き留めるが、日本の経済力が弱まればその意味も低下する。企業は海外に進出し、無国籍企業となって永遠に存在する。困るのは日本に住む日本国民だけ。日本国民も企業とともに海外に移り住めばそれで済むというのが一つのシナリオだ。
 日本の起死回生はいかに・・・と部長の名演は続いた。