ワールドカー構想

ワールドカー構想

メイドインUK

 我が家に新車が届けられた。毎日、駅まで送迎してくれる家内が気に入ったデザインで、メイドインUKだ。でも、実は日本製でもある???
 日本製なのにメイドインUK。これは何も車に限ったものではない。我が社の主力特許製品も積載しており、殆どの部品は日本で設計されて英国での関連会社が生産し、英国の企業に納入している。日本でもいわゆる姉妹車が日本の企業から発売されている。エンジンの仕様、駆動系などは共通だがボディ周りや内装の味付けが大きく違う。座席も座り心地がよい。
 このような異国間のハイブリッド製品は多くなった。世界は自らの国の長所に目を向け、全ての面で肩を比べることが実は効率的でないということに気が付いた。物づくりであれば、基礎研究の得意な国、新技術を実用化するのが得意な国、人と機械との調和を図るのが得意な国、とにかく欲しくなるデザインに仕上げるのが得意な国と言った感じだ。
 このような異国間のハイブリッド製品というものは20世紀終わり頃から世の中に受け入れられ始めた。その背景というのは次のように考えられる。
 株式会社の終局的な使命は経営利益を上げることに尽きるだろう。この経営利益は、簡単に言うと(営業利益+金融費用)である。また、ここで営業利益というのは、(売上高-コスト)である。むろん、このコストには、人件費、部品材料費、減価償却費といったものが含まれる。経営利益を上げ、これを株主に配当したり、準備金として蓄えていく。
 配当にもお国柄が表れ、米国が50~70%というような高配当を目指しているのに対して、当時の日本は30~40%という低率であった。高配当を目指さなければどこにそのお金が行くかというと、準備金として蓄えられていくことになる。また、いくらか貯まればその準備金を資本に組み入れるということも行なう。次第に内部留保は膨らんでいき、数兆円の内部留保を誇る世界的自動車メーカーもあった。
 米国が高配当を目指すのは経営のプロが自らの評価を上げるためでもある。自分のやりたいことも押し通すが、その前提として株主からの支持を得ようとしているわけだ。その意味で、開発費用(R&D)についても米国では上げる方向にあったのに対し、日本では下げる方向性を模索していた。あくまでも積極的に自己の評価を上げようとする米国のプロはR&Dにも積極的に取り組み、ベストセラーとロングセラーを実現しようとする。
 そうは言ってもメイドインジャパンが独自の価値を有している場合には日本的経営もそれなりに頑張っていたが、時代は大きく変わりつつあった。それ以前から各メーカーは為替差益に辟易して海外進出していたが、当初は思ったような効果が得られなかった。ざっと考えて3年もすれば独自に経営が可能となっていくというのが大方の予想だったのだが、なかなか実がならなかったのである。
 しかし、海外子会社活動も10年を経てようやく黒字体質化し、さらには資金調達も現地調達を行えるようになると徐々に好決算が期待できるようになってきた。こうなってくると、本来的には同質のメーカーが海外にできていくわけであり、さらに海外子会社は既に海外の体質を備えているので、親会社が旧体質前としていては話にならなくなってきた。そういうわけで実際のところは自分の足下から火が出始めて親会社の側でも本質面での体質を国際化する必要性が生じてきた。
 ある自動車メーカーでは、ワールドカー構想を打ち出し、一車種が全世界で通用するという目標を定めた時代があった。しかしながら、このような目標は現実問題として受け入れられなかった。やはり各国ごとに風土に応じた発想がある。ある国の発想を他の国が受け入れないということはないが、全世界共通というのは無理があった。そんな中で海外子会社が自立できる状況にあるというのであれば、各国ごとに専用車を作ればよい。また、各国ごとにお国柄を活かした車を設計し、受け入れられる国には輸出すればよい。売る側がマーケットの側に主導権を譲るこのやり方の方が結果は良かった。極論的には最も経営体質のしっかりしたところが親会社になればよいとも言われた。
 価格面においても、メイドインジャパンを押し通すには無理がある。日本のような高コスト構造下においては価格競争力が弱くなるのは仕方がない。現に設備稼働率における損益分岐点は急激に上昇し、殆ど限界に近くなっている。1991年にはこの設備稼働率の損益分岐点は70%であったのに対し、1996年には90%にまで達している。いったい、機械に休む暇が残されているのはいつまでなのであろうか。
 メイドインジャパンは、品質第一、効率性・・・といった機能性の面ではまだ一歩リードしていたようであるが、デザインが悪い・味わいがないといった五感の面では劣りを免れえなかった。だからこそ、異国間のハイブリッド製品というものが登場したのだろう。その点、「工業製品+デザイン」によって製品が完成すると考えた海外メーカーの方が正しかったのだろう。見方によっては一流メーカーが作る製品に対して素人がどこまで正確に製品の善し悪しを判別できるかは疑問であるともいえる。簡単に言えばみんな良くできているのである。だからこそ、マーケティングを支配するのは内容よりも実は外観なのだと早くから気が付いていたのかもしれない。
 そんな訳でIP部では海外のデザインハウスとの契約にも慎重に対処している。このような異国間のハイブリッド製品を見ているとIP部がどういったコーディネートをして完成に至ったかを想像するとおもしろい。そんなうんちくを家内に話していたら、「UKって何」と聞いてくるので、イギリスのことだと話をすると、どうしてイングランドと言わないといって怒り始めた。話の矛先がおかしくならないうちに家内を買い物に乗せていくことにした。