特許の寿命

特許には寿命というものがあり、概ね出願の日から20年で終わる。こういうシステムって他にもあるのだろうか。つまり、いつ特許になるのかは特許庁の審査にかなり依存するにもかかわらず、終わりはそんなこと関係なく、出願日から起算して終わってしまうという不思議な制度。

ただ、ここがアメリカの偉いところで、審査が本来よりも長引いたときには、1日単位でそれを累計し、20年から後も引き続いて継続する。他の国にはない制度。

そのアメリカが世界とのハーモナイズに揺れ動いている。揺れ動いているというのは世界の圧力の中で哀れな主人公が人生を翻弄されるかのごときのイメージを浮かばせてしまうかもしれないので、訂正しよう。

そのアメリカが世界とのハーモナイズを利用してまた好き勝手な制度の変更をしようとしている。とでもいえばいいか。

二つの大きな変化の兆しがある。一つは法律として、一つは規則として。法律の方の変化はハーモナイズの必要性も考えられているし、いくつかの出願人に不利益なシステムもあることはあるが、その回避策もあるので私自身はあながちアンフェアとも思わない。

しかし、規則の方は役所の提案であって、役人というのは世界共通だなーと痛感させられるだけ。やっぱりセナターは票を睨んでいるせいか、少しまとも。役人は、早くライオンに食われろとでもいいたい。

アメリカにはIDSといって、積極的に特許庁に対して自分の知っている不利なことを開示する義務がある。「特許性に影響を与える資料」があれば提出せよという。嫌な言い方で、本当にそんなものがあれば自らクレームを少し変えるが、出願人なら関係ないと思うものの、あんたは無理矢理関係づけようとするだろうてな資料があったとしたら、これは出さざるを得ない。

一歩譲って出すのはよいとしても、「こっちは出したんだからあんたがよく読んで影響を与えるか否かは判断しな」というならそれはそれでよい。特許庁もこれまでは概ねその立場を踏襲していたが、今度の規則の改正(今は提案にすぎない)によれば、何件かまで、何枚かまでは、提出しさえすればよいが、それを超えたら有料だの、いろいろな説明を出すなどしなければ行けない。

説明というのが厄介で、下手なことを言ってしまうと、後の権利行使に影響を与えかねない。そもそもこのような資料は実のところ他の国の特許庁が見つけてきた資料を出すことが殆どで、そうなると件数や枚数は出願人のコントロール外。なので、出願人は避けるに避けられない。

本当に実現するのだろうか。
2006年11月15日 20:35