小沢氏の問題、なんか歪んでると思いませんか。

1.企業による政治献金がそもそもの問題ということなのに、全廃すべきとする主張をしている政党はわずかです。それも自民党が最も嫌っている(確か、そうだったと思う)。

企業献金を撤廃すればこういうことは起きないはずです。ですが、続けさせている政党の倫理判断は問われていません。マスコミは何を考えているのでしょう。

企業が献金するのは便宜を得るという目的でしかないはずです。それ以外にあるというならオーナー社長以外は社長失格だと私は思います。便宜を得る目的で金を使うのは法律の範囲なら正当なことのはずです。

このことを考えても、公平さを崩す根本を改善することなく、必然的に起きる結果について、出る杭だけ打っていこうという姿勢に対してこそ考えて欲しいことだと思います。

2.政治家に献金したって本来なら公共工事を受注できないはずです。入札制度の公共工事を受注できるようになったのは、役所が違法なことをしたということではないのでしょうか。

政治家が何かを言ったとしても役所には本来それを聞くべき理由がありませんし、組織もそうはなっていないはずです。違法に、便宜を働いたのは役所であって政治家じゃない。動いてしまう性質を持っている役所に問題があるはずです。

3.収賄なら、受けた側には便宜を図ることができるポジションにあるべきです。政治家は基本的にはそのポジションがないはずなのに、なぜ賄賂を受け取れるのでしょう?受注した役所の誰かとつながっていないと、収賄にならないと思います。

つながっていないなら、西松はある意味で詐欺の被害者です。権限がないにもか関わらず、権限があるかのごとく装って、献金させられたのですから。

権限がないにもかかわらず、政治家への献金が対役所への受注という効果があったというなら、これは小沢氏個人の問題ではありません。この国全体の腐敗の問題です。

4.入札の制度を採用していて、どうして便宜が通じるのか?便宜が通じている現実というのは、結局、役人による入札制度というのは全く機能していないということが証明されたということです。

便宜があったというのが事実ならば、入札制度は公平さを担保する手段として機能していないと証明されたわけですから、即刻、改めないといけないはずです。でも、どうして放置してしまうのか。その方が問題です。

5.反面、入札制度が公平さを担保する手段として機能しているというのなら、入札制度がある以上は便宜はあり得ないということで幕が引けるはず。落札件数が増えたという事実がいくらあろうとも、入札制度で公平さが担保されているなら、因果関係は絶たれます。

グラフで相関関係が見られたとしても、因果関係が完全に絶たれているなら単なる偶然です。この場合は企業努力です。公共工事に対する企業努力がこういう成果を果たしたという表れにすぎないはずです。

もっとも、「公平さを担保する」機能が活きているという仮説を前提にしていますから、詭弁にすぎないと個人的には思います。

本来、政治的なことに首をつっこみたくないのですが、この経済危機に直面して民間人は大変困っています。それなのに、政党のご都合だけで、この時期にこんな問題で煙に巻いて混乱させようとしている呑気な自民党に哀れさを感じてしまったものですから。むろん、それを支持する国民に対しても絶望感を感じます。

まずは経済危機に対してきちんと対処して欲しいものです。自民党だけじゃなくて、日本の人たちも。
2009年03月10日 17:21