環境問題のウソのウソの・・・

「環境問題のウソ」という本と「”環境問題のウソ”のウソ」という本をアマゾンで買いました。前者のウソを、後者が暴露するという対決です。

一歩下がってみると、前者は確かにデータのウソが多い。でも、環境保護後の意味で以前より良くなったのか悪くなったのかと言えば、悪くなっているのが事実。一方、ではエコへの取り組みがなかったなら、この現実は抑えられていたのかどうかという点では不明確。

例えば、昔はペットボトルは5万トンの消費だった。今は、リサイクルされるようになったものの、50万トン消費され、27万トンが回収されて約半分が製品に生まれ変わっている。ということで、23万トンがゴミとして残されたわけ。

その意味で、ペットボトルのゴミは増えた。

前者はその意味で悪くなったという。本では27万トンのうちのさらに半分以上がゴミとなっていると指摘するが、ここで対決している。いずれにしても27万トンはゴミだ。昔は5万トンだった。

前者は、そもそもリサイクルの法律を作ることで、ペットボトルの消費を容認することにしたからいけないので、リサイクル法よりも、制限する方向に動くべきだったと言いたいのだと思う。そして、この方向に進んだのは利権の問題だと言い切る。

後者はとにかく前者のデータのウソを暴こうとしている(みたい)。

ただ、石油原料に頼らないでプラスティックを作る技術はずいぶん進んでいる。ペットボトルに代わるべきだとは思うが、これも利権があるから簡単には進まないように思う。この点、利権が無くても行政の動きは3年くらい遅れるのでいつになるやら。また、日本ではガソリンに代わるガイヤは利権と行政で潰されたし。

名古屋市なんかも以前は分別回収させておいて、実際は燃やしていた。前者によると、実は「回収して燃焼してもリサイクルしたことになる」と指摘。この点はその通り。ボランティアで分別しているゴミが、実は両方とも一緒に燃やされている。ふざけろと言いたいのだが、これこそ日本の行政の正しい姿。行政は一生懸命やっています。の一言で片づけられるし、みんな片づける。

環境問題は正しく向き合わなければいけないのに、実態はこうなんですね。なんか、怒れるというより、情けない。

※数字は本をみながら書いているわけではないので記憶の範疇です。ややずれていてもつっこまないで下さい。

いろいろありますが、技術で環境問題に正面に立ち向かうことはできます。私はそういった面からの支援をしたいです。
2008年11月25日 21:03