花金、終電一本前の回想

花金、終電一本前の回想

 今日は金曜日。会社から駅まで早足で歩き、なんとか終電一本前に間に合った。さすがに込んでいるが、終電よりはましか。我がIP課は、ここしばらく残業が続いた。本当は明日の土曜日までかかるはずだったが、何とか課内が一丸となって財務部へ渡す資料が完成した。この時期、IP課が作成する財務資料によって本社の業績が良くも悪くもなる。資料作りにも力が入る。
 財務部へ提出する資料といっても予算配分の獲得資料ではない。20年前の特許部長であれば予算の獲得も重要な任務ではあったが、今はもっと重要な任務を背負っている。特許収入の采配だ。話ははるか昔の仲介貿易にまで遡る。
 国際化が叫ばれ、各企業が我先にと海外進出を計っていたころ、多国籍企業という言葉がブームになった。国内に本社をおきつつ、海外では投資という名目で子会社を設立した。むろん、最初のころは子会社で製品開発をやれるはずもないし、その営業力も脆弱である。親会社は部品を提供し、組み上がった製品を買い入れる。その頃は半完成品を買い入れていたが次第に国内の高コスト構造のための限界に近付き、現地生産は完成品まで行うようになった。現地で生産するのだから当然に本社生産量が低下する。それでは本社の業績が良好とは言えないので、アジアで生産した製品を本社が輸入し、これを欧州へ輸出した。この間の差額が仲介貿易によるマージンとなり、本社業績を向上させる。むろん、このような考え方事態は低生産コスト体質のアジア諸国を利用した国際生産体制を肯定するものだったが、必ずしもそれだけで十分といえる性質のものでもない。
 そんな中で、多国籍企業をさらに進歩させた超国籍企業、あるいは無国籍企業といったものが時代の先端となり始めた。もとより、仲介貿易のメリットは企業内取引での逆輸入にある。すなわち、市場価格と関係なく価格を付けることができるから移転価格によって節税ができるということだ。また、節税のみならず、本社の業績を伸ばすも縮めるもこの移転価格次第といえる。むろん、本社の業績が上がれば株価も上がるし、維持できる。ただ、このような操作がある意味で企業パワーを低下しかねない。
 例えば、シンガポールで家電品を製造し国内へ逆輸入する場合を想定してみると、移転価格次第で本社の業績は上がる。しかしながら、本社を経由して本来の消費地であるヨーロッパやアメリカで売ろうとすれば価格競争力が低下する。なぜならば、アメリカやヨーロッパの企業はダイレクトにアジアから消費地へ輸出するからだ。この場合、彼らにとっては現在の利益率、企業の伸び率が問題となるのであって本社の業績にとらわれる必要はない。さらに言えば、それは個人プレーであって10年先の企業状況には無関心だ。その点で、日本人は出遅れ、後々までハンディを背負うことになった。
 出遅れてばかりではいられなくなったのにはもう一つ理由があった。ジャパンプレミアムだ。日本経済のバブルからの立ち直りは遅れに遅れていた。大蔵省の役人が保身ばかり考えて問題を後送り後送りさせたため、バブルの脱皮は遅れるし、相次ぐ不祥事で海外の経済界から日本の金融は見放された。その結果が現地資金調達におけるジャパンプレミアムだ。日本企業が海外で工場を建てるとなれば資金調達が必要となるが、それまでは日本国内のメインバンクが海外でも世話をしていた。この点、本社の業績がよいからこそメインバンクが協力できるし、その意味では現地の子会社の業績をとやかくいうことなく資金が調達できたのだ。
 しかし、日本の金融の地位が失墜するのに伴い、日本のメインバンクが現地の金融から資金調達する際に利息にプレミアを付けられるようになった。企業からすれば、プレミア付きの利息で資金調達するのはばかばかしいし、さらには現地の金融からの直接のアプローチも魅力的だった。ただ、現地の金融からの資金援助を受けるためにはやはり現地での業績が必要だった。
 そんなわけで、現地は現地で業績を上げる必要が生じ、本社はそれまでの単独決済から連結決済へと転換し、その連結度が超国籍企業としての評価を得るための必須の条件となってきた。むろん、仲介貿易という形態は価格競争力の面でも不利であるから、アジアから直接にヨーロッパやアメリカへ輸出する直接貿易へと転換していった。
 そこで、問題となるのは、それでは本社はどうやって業績を上げるかといったことだ。物作りの形態は変わった。時間を経るに従って生産量はピークを迎え、やがて衰えていくという公式は既に通用しない。むしろ、後になればなるほど生産量が減少していくことを最初から計算に入れ、徹底した低コスト化をプランニングできなければ物作りはできない。高コスト化体質の日本国内でそれだけで業績を上げるのは無理なのだ。
 高コスト化体質でありながらも物作りで金を産むのは知的財産権しかない。本社は研究開発の成果を特許化してそこに従来の仲介貿易で生み出していた業績を表面化させなければならないのだ。だからこそ、毎年、毎年、正確に特許の価値を見いだし、正当に特許収入を割り出して次年度の財務資料としなければならない。
 と、そんな話を入社教育時に聞いたなーと思い出したころ、わが町についた。駅前のロータリーで家内が車で待っている。明日は出社しなくてもよくなったから家族でピクニックにでも行くか。